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L.M.モンゴメリのひらめきの世界~文学ツアー
“The Inspiring World of L. M. Montgomery A Literary Tour”
L. M. モンゴメリ文学ツアーは、『赤毛のアン』の著者、L. M. モンゴメリとその作品に関わる場所を紹介し、世界中の人々にさらなる理解と興味を深めてもらう目的で企画された名所案内です。モンゴメリ研究における権威者を始め、地元の熱心な観光業界の経営者たちからなるグループのアイデアと努力によって2019年にスタートしました。
この島にはL. M. モンゴメリや彼女の作品にかかわる場所が数多くありますが、その中でもとりわけ興味深く、逃すことのできないスポットをより正確な情報と共に紹介するため、各場所には「文学ツアー」のパネルが立てられています。本を広げた形のユニークで思わず目を引くデザインのパネルには、英語、フランス語、日本語でのそれぞれの説明文が、貴重な写真や引用文と共に掲載されています。
“The Inspiring World of L. M. Montgomery A Literary Tour” はウェブサイトがあり、内容はほぼパネルと同じですが、英語のみです。
日本の熱心なファンのためにも、是非このプロブラムのことを知っていただきたく、また実際にプリンスエドワード島への渡航が叶わなくとも、サイト上で、この情報をお伝えできればと願い、有志で日本語版を立ち上げることにしました。
ベースにしたのが2019~2020年にかけて新しく立ったパネルですが、いくつか改訂の必要が生じたため、新たに日本語訳を書き直し、この「文学ツアー」発足グループの認定を得て当サイトへの掲載が実現しました。できるだけパネルのデザインを崩さぬように、オリジナルに沿って製作し、パネルとサイトの双方を兼ねた日本語バージョンとしています。
L.M.モンゴメリの文学の世界をどうぞお楽しみ下さい。
有志:テリー神川 、増田かつ江
※当地でお配りしている日本語パンフレットはこちらでダウンロード下さい。

各スポットには本を広げたこのデザインのパネルが立っています。


ルーシー・モード・モンゴメリ(1874年11月30日~1942年4月24日)は、L. M. モンゴメリのペンネームで1908年に最初に刊行した(のちにシリーズ小説となった)『赤毛のアン』で最もよく知られる、OBE(大英帝国四等勲爵士)を受賞したカナダ人作家です。
「私が子供時代の環境や出来事について、これまで詳しく記述してきたのは、自分の文学的才能の発達が、それらに大きく影響されているからです。環境が違っていれば、異なる道に進んだかもしれません。キャベンディッシュでの日々がなかったら、『赤毛のアン』という作品が生まれることもなかったでしょう。」(『The Alpine Path』モンゴメリ自叙伝、第6章より)
小説 ”Anne of Green Gables(『赤毛のアン』)” 1908年刊行当時のL. M. モンゴメリ
A Glimpse of Beauty
一瞬のきらめき
ブロンズ像

コンセプト・デザイン担当 グレイス・カーティス
彫刻・鋳造担当 ネイサン・スコット
デザイナーからのコメント:
「キャベンディッシュで暮らし、『赤毛のアン』を執筆しようと奮闘していた20代後半の頃のモンゴメリを表現したいと思いました。”A Glimpse of Beauty ( 一瞬のきらめき)”は瞬時のインスピレーションにモンゴメリが畏敬の念を抱いている姿をとらえています。彼女は、この創造的な瞬間のことを「the flash(ひらめき)」という言葉で語っています。自然の美しさに触発され、天を見上げて深く息を吸い込み、全てを吸収する。それは喜びの瞬間であり、彼女の中に潜んでいた創造力が目覚める瞬間でもありました。私も少女の頃、モンゴメリのいくつかの作品の随所で描かれている、垣間見た美しさを描き出す筆致力に心打たれたことを覚えています。後に、これはモンゴメリ自身が体験したことだと知りました。この素晴らしくミステリアスな瞬間は、いまだにアーティストとしての私の心を魅了してやみません。」グレイス・カーティス
彫刻家からのコメント:
「今回の制作は私にとって、非常に貴重な体験でした。グレイスから送られてきたコンセプト・デザインを体現化させるには、プロジェクト依頼者グループとアーティストが思い描くイメージのすべてをとらえなければならなかったからです。私は、L.M.モンゴメリが、この小さな島がいかに特別な場所であり、秘密の宝石のような存在であるかを世界中に知らせることに大きな役割を果たしたと考えます。彼女は、『赤毛のアン』や『可愛いエミリー』といった作品の登場人物を通して、想像の世界を豊かに表現しています。モンゴメリの作品を称える事業の一部に参加させていただいたことを光栄に思うとともに、再びこの島に帰る機会をいただけたことに感謝します。」ネイサン・スコット

The Macneill Homestead
マクニール農場(住居跡)
インスピレーション
L.M.モンゴメリのキャベンディッシュの家は、間違いなく他のどこよりも彼女に執筆へのインスピレーションと意欲を与えた場所だと言えるでしょう。幼くして母親(クレアラ・マクニール)を亡くし、次いで父親(ヒュー・ジョン・モンゴメリ)のカナダ西部への出立という事情から、モンゴメリは人生の大半を母方の祖父母(アレクサンダーとルーシー)であるマクニールの家で過ごしています。母が亡くなった生後21カ月から、祖母が他界する1911年までの長い年月でした。
マクニール家の台所は村の郵便局の役割も果たしていたので、モンゴメリは郵便業務を手伝いながら執筆に励み、採用に望みをかけた原稿を誰にも知られず出版社に送ることができました。その何百もの短編や詩の中にかの代表作”Anne of Green Gables"(『赤毛のアン』)も含まれていたのです。
この家屋の母屋部分はすでに存在していませんが、残されていた台所の棟は保存され、この元の地所に戻り、現在は一般公開されています。


「今日は、私の愛しい部屋の掃除をした。
今夜は清らかで平穏な古巣で眠りにつくことだろう。ああ、ここを離れることなどできるだろうか。地球上のどこにも私にとってここのような場所はない。喜びや悲哀の折々に、私はこの窓辺に座り、はるか緑の丘を見つめつつ歓喜や悲痛に浸ったのだった。」
( 1910年4月27日、『L.M.モンゴメリの日記』より)
アレクサンダー・マクニールと
ルーシー・マクニールの当時の住居。
モンゴメリが暮らした二階の切妻の窓が見える。
1890年頃、キャベンディッシュ、PEI

祖父母であるマクニール夫妻の家の二階にあった
L.M.モンゴメリの寝室の一角。
1890年頃、キャベンディッシュ、PEI
Path to L.M.Montgomery’s Cavendish Home
L. M.モンゴメリのキャベンディッシュの家に続く小道
ホーム
母親が結核にかかった後、L. M. モンゴメリはキャベンディッシュの母方の祖父母(アレクサンダーとルーシー)マクニールの家で暮らすことになりました。いうまでもなく、モンゴメリはこの地所を隅から隅まで散策し、探検しました。当時農場はこのパークの土地とその南側の小道まで続いていて、モンゴメリはその小道を歩いてワンルームスクール(当時あった、教室が一つの学校)に通い、村人たちはマクニール家の台所にある郵便局へ行く道として利用していました。
このあたり一帯のすべてが彼女の心に強く忘れがたい印象を与え、モンゴメリはここで多数の作品を生み出しました。世界中から称賛を受け続ける『赤毛のアン』もここで書かれた数々の物語や詩の中のひとつでした。モンゴメリは1911年に祖母が他界するまでこの家に住み続け、その後、牧師のユーアン・マクドナルドと結婚しました。結婚後はオンタリオに移り住み、再びPEIで暮らすことはありませんでしたが、幾度も島を訪れていました。モンゴメリの作品の20冊中、19冊はこの島を舞台にしています。


「私はキャベンディッシュを後にし、これからは時折の訪問者になる以外、永遠にここから去ることになる。
それによって、私が地球上で偽りなく愛するたったひとつの場所を置き去りにしたような気がする。世界のどこかに私のための家があるのかもしれないけれど、海岸のそばの小さな村にあるあの家だけが私のホームなのだと、心の奥底の魂がそう言っている。」
( 1912年1月28日、『L.M.モンゴメリの日記』より)


アレクサンダー・マクニールと
ルーシー・マクニールの当時の住居。
モンゴメリが暮らした二階の切妻の窓が見える。
1890年頃、キャベンディッシュ、PEI
友人たちからモードと呼ばれていたL.M.モンゴメリ(6歳)と母方の祖母ルーシー・マクニール(1870年頃)
The Cavendish United Church
キャベンディッシュ合同教会
コミュニティ
L. M. モンゴメリは子供の頃、母方の祖父母に連れられて、元のキャベンディッシュ長老派教会に礼拝に通っていました。現在そこはキャベンディッシュ共同墓地になっています。その後1901年9月8日、今の場所に新しく建てられた教会が長老派教会の信徒たちによって正式にオープンしました。 1925年に多くの長老派教会やメソジスト教会、会衆派教会が合併されてカナダ合同教会が結成されると、この歴史ある教会もキャベンディッシュ合同教会となりました。モンゴメリは1903年から1911年までこの教会のオルガン奏者を務め、彼女の葬儀もここで執り行われました。


新しい長老派教会の外観。
1901年頃、キャベンディッシュ、PEI
(現在のキャベンディッシュ合同教会)
「おそらく日曜日は、人々が ‘’説教を聞いている” ころ雨になるだろう。
私の想いはかつての長老派教会に戻っている。四半世紀も前に亡くなり、ここに埋葬された人たちが、お墓から急ぎ足で出てきて、教会のいつもの信徒席を埋め尽くしている。こんな想像をするのも、「説教中に雨が降った」という古い日記の一説を読んだせいだ。一番前の中央席にいる、大昔のヘブライ預言者の生き残りのような老スコットランド人から、後方席の、私と同世代の礼儀をわきまえない若者たちまで、皆揃っている。牧師の説教が続く・・・現代風の15分ばかりの教えではなく、長々と1時間ほども続く堅苦しいお説教だ。聖歌隊は中二階の席におり、雨は川の流れのように縦長の白いガラス窓に降りつけている。」
(”The Maritime Advocate and Busy East”誌の1936年5・6月号に掲載されたL. M. モンゴメリの ”Come Back with Me to Prince Edward Island”より)
キャベンディッシュ合同教会の窓を美しく
彩るステンドグラスは、Cavendish Area Resort Associationから寄贈されたもので、L.M.モンゴメリの誕生月と年が記されている。
The Cavendish Cemetery
キャベンディッシュ共同墓地
永眠

1942年4月24日にトロントで生涯を閉じたL.M.モンゴメリは、PEIに運ばれこの場所に埋葬されています。葬儀は墓碑を背にして正面に見える尖塔のあるキャベンディッシュ合同教会にて執り行われました。
彼女はこの場所を自分の永眠の地に選んだのです。この墓地には毎年、世界中から多くの人々が訪れています。
PEIのキャベンディッシュにあるL.M.モンゴメリの墓 碑(墓地内の北東の角、
交差点近く)。写真は1942年頃。
1942年4月24日、トロントで亡くなった後、4月29日にこの場所に埋葬された。

「この夕刻、私は墓地に出かけ亡き人々との約束の再会を果たした。
懐かしい場所は、雪のように真っ白なクローバーで埋まり、日没の光を受けて美しかった。そこで私は、将来自分が永眠する場所を選んできたのだ。ともすれば陰気くさく聞こえるが、私にとっては決して暗鬱な行動ではなかった。私はその時が来たら、キャベンディッシュの墓地に埋葬してもらいたい。地球上のどんな所よりも愛しいこの場所で、親しい人々に囲まれて眠りたい。。。私は丘の上にある一つの区画を選んだ。いつも大好きだった美しい風景ーー池や海岸、砂丘や港を見下ろせる場所。数え切れないほどの夏の夕暮れ、私はそこに佇んで景色を眺めては、自分の想いを言い表わしてくれるより崇高なる言葉をどんなに乞い求めたことだろう。私は最後の眠りにつく場所をそんな景色の中にしたかった。。。いつの日かそこに横たわり、海からそよいでくる風が私に歌いかけ、懐かしい湾が子守唄で寝かしつけてくれることだろう。」
( 1923年7月21日、『L.M.モンゴメリの日記』より)
『赤毛のアン』を出版した頃の
L.M.モンゴメリ。34歳、1908年。
The Haunted Wood
お化けの森
イマジネーション

L. M. モンゴメリは『赤毛のアン』の中で「お化けの森」と呼んだトウヒ林について書いています。「お化けの森」のトレイルは現在、グリーン・ゲイブルズ・ハウスと「恋人の小径」があるグリーン・ゲイブルズ・ヘリテージ・プレイスへとつながっています。
またパークス・カナダはモンゴメリの生涯やゆかりの地、文学的遺産面への理解を深める目的で近代的なマルチメディアセンターを創設しました。